ネットビジネス

一番最悪の事態はITが崩壊すること

これはヤバいですね。インターネットというものが無くなり スマホも消え、電子化されたものが使えなくなってしまう事態です 戦争とかそういった事態になったらどうしようもありません。

 

おそらく 情報のインフラ系は真っ先にやられるので・・・。

 

でもねぇ。そこまで行ったら仕方がないんじゃないかなぁ・・。

 

ちなみに天災で店舗が崩壊したり会社の移転を余儀なくされても ネットビジネスなら世界が商圏なので特に問題はないと思いますよ♪

 

参入障壁が下がりライバルが一気に増える可能性も

ネットビジネスはインターネットに接続できていれば誰でも参入できる ビジネスです。それゆえSNSの発達により参入障壁が下がると ライバルが増えますね。

 

例えば昔はパソコン言語が分かって プログラムが組める人のみがITの恩恵に預かれていたのですが

 

こうやってブログとかが登場しちゃうと誰でも簡単に文字を書いて 表現できてしまう。

 

インフラ=表現手段の障壁はこれからますます 下がるでしょう。

 

そのうち手打ちじゃなくて音声言語がそのまま 文字化すれば、コミュニケーションの手段がどう変わるかわかりません。

 

ただ、世界中の音声を検索し、一定の情報を持ったまとまりに変える 技術はそう簡単にできないと思います。

 

「お前のみそ汁が飲みたい」=結婚したいなんていうのは 特定の状況でしか起きないのですから文脈がないと不可能。

 

短すぎる人間の発話だけを集めても意味をなさないと思います。

 

何が言いたいのか?というと 検索エンジンつまりグーグルはそう簡単には消えないということです。 あとはこのグーグルのビジネスモデルがどう変わるか?ということ。

 

個人の広告であるアフィリエイトは不安定?

次にアフィリエイト、つまり個人の広告販売代理店というビジネスモデルが なくなる可能性ですね。

 

特にグーグルは広告宣伝費の収益モデルなので 自社独自の物販も作り始めていますが、それよりも検索エンジンからの 広告収入が圧倒的に多いのです。

 

ちなみに世の中から広告がなくなるということはないと思います。 そんなことをしたら、どうやって人は物を選択するのでしょうか?

 

価値を見出すのでしょうか?

 

新しい情報の全ては広告(広報)の側面を持つので、まず広告は消えません。 その表現手段は今は音声や文字、映像ですがもう少ししたら3Dの立体まで 飛躍するかもしれませんね。

 

企業の宣伝と個人の宣伝のどちらに価値があるのか?

情報の拡散と伝達に個人個人を使うのか?

手数料を払う必要があるのか?

大手企業から小売店まで社員や店員が独自で広告をしていけば アフィリエイト等に頼る必要が無くなり、その結果このビジネスも終焉を迎えそうな ものですが・・・・?

 

私の考えでは組織に属して何かの情報を流す以上、組織から離れられない という原則があるので、広告も組織を離れられないと思うのです。

 

まさか、コカコーラの社員が仕事中にみんなでペプシの悪口をいうとか スタバを批判するとかできないでしょ?

 

コーヒーの比較とかをペプシ社員が こぞってやるとか不可能だと思うんですよね。

 

この辺に限界があって、それをできる個人の広告=情報価値があると 思えば、そこでアクションが起こるので個人広告は消えなそうです。

 

やっぱり食べログみて私もお店に行ってしまうのは、個人を信じているからなんですよね。

 

この個人の集合した情報にお金が集まるというビジネスモデルは当分続くというのが 私の見解です。

 

また、強い個人として情報発信をしている人にはお金が集まると思いますよ。 ユーチュ―バーなんていい例ですけど、インフラが整ったらあとは表現者の 差が大きいのでは?

 

せどりヤフオクなどの転売ビジネスは不安定?

同じものでも場所を変えれば高く売れる。これが商売の原則ですね。 輸入販売業や商社のビジネスです。

 

私の大好きな成城石井とか? 海外食品を日本に持ってきてちょっと高めに売っちゃうわけでが、 これを個人でやる転売系の将来はどうでしょうか??

 

時間と空間に限りがあるので常にひずみが生じ不安定になる

これが答えです。 実際の不動産は限りがありますし、その場所で人が欲している物は 時間と共に変わっていきます。ただ、ネットじゃないとその嗜好の変化に追い付けない。

 

近くにお蕎麦屋さん欲しいなって思ってもないものはない。 本屋でこの本買いたいな?って思っても取り寄せまでに時間がかかる。

 

だからアマゾンでちょっと高くても探し回る時間=命の時間を失いたくないから 買うわけです。

 

するとこの隙間産業も残りそうです。 国内外の転売も価格落差に素早く対応できればこれからも稼げそうです。 ただ、この情報落差を調べる手段は変わってくると思います。

株式やFXはもちろん不安定だが・・?

サラリーマンの副業でもっとも多いFXや株式は不安定ですよそりゃ。 値段が一定だったらそもそも株やFXに価値なんてないし。

 

未来への期待値で動いているわけですから、そのトレンドを知っているかどうか? ディーラーさんはもちろん、証券や銀行員さんだってその不安定さと戦うために 朝から晩まで働いているわけですからね・・・。

 

で、ここまで見てみると、やっぱり不安定であるし、ITがなくなることはないけれど 一生食っていくのには努力が必要ってことですね。

 

でも、ビジネスで活躍している方って不安定が好きで飛び込んでいんですよ。 だかが技術も身につくし、稼げるようになる。安定のぬるま湯にいる方が よっぽど怖いです。私はそう思います。

 

就職

一般的には国立が有利だけども・・・

 

一般的にいうと、私立よりも国立が就職には有利だと言われています。これは国立は数が私立ほど多くないし、ある程度のレベルの大学がほとんどです。

 

一方私学は全国に数多くの大学があり、レベルは本当にバラバラです。また私学へ進学する人の多くが、一生懸命必死に勉強をして入試に合格するわけではありません。

 

中には、附属高校の内部進学という場合や、推薦入試、OA入試という人も多いでしょう。

 

だいたい半数ぐらいが一般入試以外の入学者になっているのが私立の特徴です。また国立の場合は、センター試験を受けた後に大学独自の2次試験を受験する場合がほとんどです。

 

センター試験で多くの科目を勉強する必要がありますし、さらに2次試験の勉強もしなければなりません。

 

このようなことから、企業も国立出身者を「真面目に勉強をしてきた人」=「きっと真面目に働いてくれるはず」という感じで評価が高いわけです。

 

また、地方都市にある企業などでは、地元の国立大学にとても高い評価を持っているというのもあります。そういった場所では国立はとても就職に有利になります。

 

ただ、これも相対的なもので、大学の偏差値などの評価によっても変わるでしょう。また、私立大学によっては多くのOBやOGの存在などによって、就職に有利に働く場合もあるでしょう。

 

一般的には国立と私立では、国立が就職に有利とはいえますが、一番大事な点は個人の資質です。

 

大学で、「何を学んだか」、「何をやったか」というのがとても重要になってきます。今後は大学名や、国立、私学などの区別よりも内容が重視される時代になってくるでしょう。

 

 

文系と理系ではどちらが就職に有利?

 

文系と理系ではどちらが就職に有理か?というのもよく話題にのぼるテーマです。

 

これも一般的にいうと、理系のほうが文系よりも就職に有利だといわれています。日本は“技術立国”ですから、理系の技術がある人が大事ですからね。

 

ただこれも絶対ではありませんし、学部によって就職の有利・不利は異なったりします。

 

例えば同じ理系でも、理学部と工学部では、“実学”の工学部の方が就職がしやすい場合も多いでしょう。

 

個人的には、将来のために大学でしっかり理論を学ぶ、理学部のほうが良いような気もしますが。

 

また、文系の中でも就職の有利・不利はあるでしょう。文学部などはあまり社会に役立たないということで、冷遇された時代もありましたから。

 

ただし、最近ではもちろん何を学んだか大事なのですが、「どんな人か」というのもより重要視されています。

 

特に人と円滑に仕事が進めることができるコミュニケーション能力は重要視されます。

 

 

何を学んできたかを重視するとより国立が有利に

 

私立大学の進学者のうち、半数ほどは推薦入試やAO入試によって入学をしているという現状はすでに述べました。

 

企業の採用担当者も、このことでたとえ偏差値の高い難関大学でも、より厳しく学力などの能力を見るようにはなってきています。

 

極端な話ですが、面接さえ良ければちょとした一流の大学にも入学することができ、さらに面接さえ良ければ一流の企業に就職だって可能なわけですからね。

 

こういった事情からも、企業も最近はより国立大学の評価を高めています。それが都心にある難関の国立大学ではなく、地方の国立大学つまりいわゆる駅弁大学でもです。

 

私立と国立では、やはり国立が就職に有利。理系と文系では理系が就職に有利。全般的にはこのようにいえるでしょう。

 

ただし、専門的な能力が乏しければ将来リストラのターゲットになりやすいですし、理系の技術者を目指すような人は、大学時代に基礎をしっかり学ぶ必要があるでしょう。

 

また、理系の人でも、口下手ではなくコミュニケーション能力に長けていることも必要です。

 

学問という技術と個人の資質が十分にあれば、就職にそれほど困ることはないでしょう。大学で何をやってきたか、何を学んできたかがより重要になってきています

 

 

 

 

どうすれば儲かるのかは分かりませんが、ただ、間違いなく言えるのは、上に書かれたのと同じことをやっていると、損するリスクが高い、ということです。

 

特に、「損切り」はしっかり行うことと、ギャンブル的な張り方はしないこと、この2つは、大損しないための鉄則だと思います。

 

前回のエントリー「株やFX、一番大切なのはメンタルか?」で、90%の人が退場していくと書きましたが、その多くは、上の2つを徹底して出来なかったからだと思うのです。

(オプションをやっている人で、災害や事故のような不運にあって、手出しできなかった人も多数いらっしゃいますが・・・)

 

でも、「損切り」は、自分の失敗を認めることであり、自己否定することになります。そして、目の前の「損」を確定させることですから、なかなか出来ないっていうのが、素直な気持ちだと思います。

また、短期で相場を張ろうって人は、そもそも、博打志向が強い人でしょう。なので、一攫千金狙いや、一か八かといったギャンブル的な張り方へとエスカレートしてしまうと思うのです。

 

そして、何よりも問題は、場が立っている間は、株価や為替がどうなっているか、気になって気になって仕方がない、ということなのですよね。

 

こうなると、日中、自分の本来の仕事に集中できなくなりますし、株価の上下で一喜一憂して、気持ちが落ち着くことがありません。

他のことには一切、手を付けられず、ただ相場のことを考える時間だけが、どんどんと流れていくのです。

本当に、精神衛生上、よろしくないのです。

 

株やFXで儲ける、少なくとも大負けしないためには、こういうメンタル的な要素を、自分でしっかりとコントロールできるかどうかが、一番大切なのだと思います。

 

一方、会社の将来性を買うという中長期での投資や、配当金(銀行金利より利回りが良い会社はたくさんあります)や株主優待を楽しむといった考え方はあります。

また、リスキーですが、利回りの良い外貨貯金を行うという手もありますよね。

いずれも、やるなら余裕資金を自己責任で、と言うことですが・・・。

 

思い込みや勘違い、思考・行動傾向などなど、自分が「しくじり先生」よろしく調べてみると、人の思考は無意識のうちに「バイアス」がかかってしまうことがたくさんあるのがわかりました。

 

そして、こういった心理を読み取った手法は、ビジネスの世界でも、随分と使われているようです。

今回、ご紹介したものでも、
•商店でレジ数や席数をあえて少なくすることで行列を作らせたり、ファッションで年毎の流行色や流行アイテムが作られていくのは、バンドワゴン効果
•通常価格10000円を割引価格8000円と表示するのは、アンカリング効果

というのがあります。

 

セールスのテクニックとして有名な『ドア・イン・ザ・フェイス(過大要求法)』、『フット・イン・ザ・ドア(多段階要求法)』、『ロー・ボール・テクニック(承諾先取要請法)』などもありますね。


これらの良し悪しはあろうかと思いますが、それは置いておいて・・・。

人の心理の矛盾した動向には、様々なものがあります。客観的には「おかしなこと」と分かっていても、その当事者になると無意識にやってしまう。

それもこれも、人間だから、ということなのでしょうか。

 

恋愛と金銭

 


いつから恋愛はカネのかかるものになったのか

 
 そもそも、「お金がなければ恋愛(結婚も)できない」というのは、一体いつ頃からなのか?
 
 戦後の混乱期〜70年代にかけて、貧しい若者もまた恋愛や結婚をしていた事からもわかるように、恋愛や結婚ははじめから“プレミアム”だったわけではない。

 

恋人に贈るプレゼントは、手編みのセーターから高価な商品へ。
 水やお茶は無料のものから、ペットボトル入りの有料のものへ。
 テレビや電話は、家族持ちから個人持ちへ。
 
 こうした変化のうちに、若者の暮らしはますます快適に、ますます清潔になっていった。それは良かったのかもしれない。そのかわり、“若者としての文化的に最低限な生活”をしていくために必要な金銭コストはどこまでも嵩むようになり、男女の求愛作法は消費社会のシステムに組み込まれていった。あらゆるモノ・あらゆるサービスが金銭的に購えるようになったかわりに、なにもかもが金銭的に購わなければならない社会――そうした消費個人主義社会が成立していったのである。

 


、「経済的な豊かさは失われたのに、男女交際の作法やプロトコルは、豊かだった時代の名残りを引きずっているのではないか」ということだ。
 
 70年代末の若者と同等かそれ以上に経済的に余裕が無くなったにも関わらず、いまだ男女交際や求愛の作法は70年代末のソレに回帰していない。フォークソングで歌われたような恋愛は、ほとんど御法度に近い。控えめに言っても、そのような“貧しい恋愛”を許容できる男女は多数派とは言えまい。
 
 80年代以前において、経済的な貧しさは必ずしも恋愛を不可能にするものではなかった。しかし2010年代において、経済的な貧しさを度外視して恋愛をするのはいかにも難しい。若者の財布からカネを絞り尽くすシステムが浸透し、そのシステムに無理が生じているにも関わらず、男女交際や求愛の作法はいまだ20世紀末の面影を引きずっている。たまったものじゃない。
 
 


「今の貧しさ」だけでなく「未来の貧しさ」も大問題

 
 付言しておくと、恋愛や結婚の足を引っ張っているのは、現在だけではない。未来もだ。
 
 80〜90年代の若者は、たとえバブル景気の恩恵に浴していない者でも、案外、羽振りが良かった。月給が20万円ちょっとの若者が、ローンを組んで高価な国産車を買うなんてことが珍しくなかった。『頭文字D』で描かれるようなサブカルチャーや、90年代のゴージャスなヤンキー車のたぐいは、過去の若者の経済的な呑気さを反映している。
 
 なぜ、当時の若者は経済的に呑気でいられたのか?
 
 当時はまだ、未来の年収や生涯年収について心配しなくて構わなかったからだろう。
 
 かつて、サラリーマンの生涯年収は三億円と言われていた。正社員はありがたいステータスでもなんでもなかったし、年功序列的な賃金体系を信じることもできた。年金制度を深刻に心配している人はまだ少なかった。手に入ったお金をかたっぱしから個人消費に回しても将来どうにかなる――そんな楽観的な空気があった。
 
 今は違う。サラリーマンの生涯年収は下がり始めている*1。正社員はそれなりにありがたいステータスとなり、その正社員でさえ、いつリストラされるかわからない。年金制度に期待している若者なんて、今は殆どいないだろう。生きていくにはカネがかかるのに、そのカネが増える見込みが立たない以上、財布の紐がキツくなるのは仕方ない。収入に余裕の無い立場の若者の場合は特にそうだ。恋愛どころじゃない。
 
 誰もが「将来、自分の収入は安定していて増え続けるだろう」と思い込んでいた時代と、誰もが「将来、自分の収入は不安定で増える見込みが無い」と思っている時代では、同じ月収の若者でも事情は全く違うのだ。
 
 こうした「見込み収入の違い」もまた、恋愛や結婚の足を引っ張っていることは想像に難くないし、逆に、途上国の若者が貧しくても恋愛や結婚に尻込みせずに済むのは見込み収入に拡大の余地があるからかもしれない。発展途上な国々の若者は、たとえ今は貧しくても将来に希望を持つことができるが、日本の若者には、そのような希望など望むべくもない。
 
 


きっと、沢山のものが変わらなければならない

 
 こんな具合に、今日の男女の巡り合わせの問題は、現在と未来の経済事情と、経済事情に左右されやすい(たぶんに時代遅れな)求愛作法によって大きな制限を受けている。求愛作法も、社会の仕組みも、すぐには変化しないだろうし、好きなように変えられるわけでもないだろう。それでも、既に時代の尺に合わなくなっているものはなるべく変えたほうが良いと思うし、また変えていくべきなんだろう。
 
 もう、20世紀じゃないんだから。
 

受験について

効率的な勉強方法というのはたしかにある。
しかし、勉強の内容を分かりやすく教えることはできても、効率的な勉強方法まで教えられる先生はほとんどいない。努力を美化するが、最短ルートで受験を突破する方法を教えてくれない。
理由はいくつかある。第一に先生は”生産性(効率性)”という概念をそもそも持っておらず、努力論に逃げがちだからだ。予備校教師を含めて先生たちの仕事の成果は生産性では図られない。第二に、受験に努力論を持ち出せば「努力が足りなかったんだ」と簡単に片付けることができるからだ。教育の現場では、論理云々ではなく「フェアであること」を誰もが好む。実際には人生はアンフェアで、その中でいかに要領よくやるかが大切だが、その事実を伝えるだけの勇気がある先生は少ない。むしろ、部活に勤しみながら、遊びながら、恋をしながらもすました顔をして結果を出す要領の良いヤツよりも、勉強一本でコツコツとやる子たちのやり方を推奨するくらいだ。
受験においては、勉強”量”も重要だが、最小限の勉強量で受験を突破するために、正しい戦略を立て要領良く勉強することが重要だ。
1. 手っ取り早く志望校を絞る
まずどこを目指すかを明らかにする。
目指す先は基本的には興味があり、学びたいことから選ぶ。興味がある・なしは実際に学んでみなければはっきりとはわからない。それでもネットや本屋で細かく調べ、直感的にでもワクワクできる分野について学べる大学を選ぶ。理系学部に進みたいなら、見るべきは研究室だ。Webページ、パンフレット、オープンキャンパスでどんな研究ができるのか調べる。また、Webで調べて教授に「話を聞かせてほしい」とメールすれば間違いなくどんな研究ができるのか親切に教えてくれるはずだ。

レベルの高い大学を目指す意味
やりたいことが分からなくとも東大や京大を目指す価値はある。世間はどこまでいってもこれらの大学のブランドを信用しており、その後の人生で何かと選択肢が増えるからだ。また、早稲田、慶応のような比較的各分野で面白い人たちが集まっている大学を目指すのも良い。海外に行きたいなら、大学で留学したいなんて言わずに、はじめから海外の大学を目指すのも良い。
できれば、実際にキャンパスに行くなりしてどんな大学かというイメージもしておくと良いだろう。それがモチベーションになる。どの大学もキャンパスに学生が溢れるほどいる。もし、あなたが私服で大学内に入り込んだとしても誰ひとり気にもとめない。

学歴は関係ある
なお、年上の人たちの「学歴なんて関係ない」という言葉は信用してはいけない。それはあたかも「誰かを好きになるのに顔なんて関係ない」という言葉のようなもので、関係ないと思う人もいれば、関係あると思う人もいる。関係あると思う人がいる限り、学歴はキャリアに影響し続ける(たとえば、いつか行きたくなった会社の採用担当が学歴が重要視するかもしれない)。現状、学歴はその後の人生の生きやすさに大きく影響する。ちなみに「学歴なんて気にしているのは日本くらい」というのも大嘘。アメリカはもっと極端な学歴社会だ。

2. 科目を絞る
どうせ高校で興味もなく中途半端に勉強したことなんてすぐに忘れる。本当に学びたいことは大学に入ってから学べばいい。そのため、3年生なら受験に必要な科目だけを勉強する。とりあえず「必要になるかもしれない科目を全部勉強して、願書提出の時期になったら行けそうな大学から選ぶ」なんてことはしない。効率が悪いし、明確な目標を作らなければ、モチベーションは上がらない。

3. まず過去問を解く
目指す大学が決まったら、第1に過去問を解く。はじめはボロボロかもしれないが、それでも全て目を通す。解き終わったら、点数の低さに落ち込むのではなく、各科目ごとに、受験までにどれくらいのレベルアップをしなければならないのか把握する。これを2ヶ月ごとくらいにやる。常に現実と必要なラインとの差を知り、必要な部分を埋めていく。これが受験勉強の基本的な考え方だ。

4. スケジュールを細かく引く
入試日程から逆算し、科目ごとにスケジュールを作っていく。それに縛られすぎてはいけないが、基本的にはスケジュール通りに進めていく。そのとき、10月にはすべての項目を終わらせる計画を立てる。10月までにすべての基礎的な勉強を終え、そこからは過去問や模試を受け、自分の弱いポイントを入試に頻出のところから埋めていくような勉強の仕方にする。

5. 効率的に参考書を使う
まず、その分野全体を網羅的できる参考書をやる。学校の教科書は使わない。分かりづらいだけでなく、実際の受験と大きなギャップがあるからだ。参考書選びはとても重要だ。ネットで調べて吟味して調べる。
また、科目に関わらず、読み進めるだけのタイプの参考書をメインでは使わない。解きながら進んで行くタイプの参考書を使う。手を動かさなければ、頭はフルに働かず、記憶に残らないのだ。読み進めるタイプの参考書は、分からないことがあったときに調べるために使う。化学や生物、社会などを2次試験まで受けるのであれば、一冊分からないことがあったときに調べられる、大抵のことはのっている辞書的な参考書を持っておく。
なお、取り組んだ参考書の数が多いことには全く意味はない。質の高い参考書をいかに完璧にマスターするかが重要になる。
6.模試は3ヶ月に1回くらいでいい
模試ばかり受けていても学力はつかない。受けっぱなしに意味はない。1回模試を受けたら、長い時間を割いて振り返る。点数や判定は全く気にしなくていい。重要なことは、問題を間違えたのはなぜかを把握し(理解できていなかったからなのか、覚えてなかったからなのか、うっかりミスなのか)理想のラインまでどのくらいギャップがあり、そのギャップを埋めるための戦略を立てることだ。
自分の間違え部分を入念に分析し、どの参考書や問題集を解けばそのギャップを埋められるかを把握する。どの分野が弱いのか。そしてスケジュールを引き直す。そのため模試は、センター模試、大学固有の模試それぞれを数ヶ月に1回ずつ受ければいい。

以上の6点を意識すると比較的勉強のベースはできるのではないかと感じる。

サッカー選手の年俸と移籍金についての説明をわかりやすく。

海外で活躍する日本代表サッカー選手も多くなってきた。本田圭佑香川真司といったスター達を中心に、移籍の話題が盛んに報じられている。一人の選手の移籍金として100億円以上が支払われ、メディアを賑わせることもある。でも、この移籍金という概念がサッカーに馴染みの薄い人には分かりにくいのではないだろうか?選手の収入になると誤解している人も少なくない。

そこで今回の記事では、海外サッカーを追い続けているぼくが移籍金の考え方について誰でもわかるように解説する。また、サッカー選手はチームから「年俸」という形でお給料をもらっているが、年俸と移籍金の違いについても整理して説明する。

移籍と契約の仕組みについて

(前提知識1)移籍とは?

移籍とは、あるチームから別のチームに移ること。

A小学校からB小学校に生徒が移ることを「転校」というが、これが小学校じゃなくてサッカーチームのときには「移籍」と呼ばれる。

(前提知識2)クラブチームと選手の契約について

「移籍」するときに「移籍金」というお金が発生してしまうのは、チームと選手が「契約」を結んでいるから(そして移籍するときにこの契約を破るから)だ。この「契約」についてもここで説明しておく。

クラブチームと選手の間の契約というのは、「あなたのチームのためにこれから○年間働くので、年俸を○○万円ください。」という約束のことだ。ここではより具体的に、香川真司が2012年イングランド1部プレミアリーグマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)に移籍したときの契約を例にとりあげて説明してみよう。

香川真司は2012年、ドイツ1部ブンデスリーガドルトムントというチームから、イングランドマンUに移籍した。香川はこの移籍にあたり、マンUとある「契約」を結んだ。その契約の中身は、以下のようなものだと言われている。
1.2012年7月1日からマンUに正式に所属します。
2.年俸は350万ユーロ(約3億5千万円)ください。
3.基本的に、この先4年間(2016年6月30日まで)は継続してマンUに在籍します。

※年俸の金額は推定

勝利給、優勝ボーナス、ゴールボーナスといったおまけのような内容や、肖像権の取り扱いといった細かいことがその他盛り込まれてくるが、基本的にはこのような内容の契約が結ばれる。

移籍金について

移籍金とは?

ここからが本題。移籍金とは、ある選手がチームAとの契約期間中なのに、チームBに移籍することになった場合の違約金のことだ。

香川真司の例でいえば、マンUとの契約の際、彼は「4年間マンUに継続して在籍する」と約束していた。しかし、実際は2年が経った2014年8月31日、古巣ドルトムントに移籍することが決定した。これでは初めの「4年間在籍する」という契約を破ったことになるので、その違約金を支払う必要がある。これを移籍金と呼んでいるのだ。移籍金は移籍先チームが移籍元チームに支払うものであって、選手はこれには一切関わらない。

またこの移籍金の支払いを「売買」にたとえてみれば、マンUドルトムントの間で香川真司という選手の保有権を売買し、その金額を移籍金として支払っているともいえる。

移籍金が発生する条件

ここまでで勘の良い方は気づいたかも知れないが、移籍金は選手が移籍したらいつでも発生するというわけではない。移籍金は、契約で決まっている在籍期間を守らなかった場合の違約金のことだ。なので、きっちりと契約満了まで所属し続けて、在籍期間の終了と同時に移籍した場合には移籍金は生じない。香川の例でいえば、4年間在籍してから移籍すれば移籍金は生じなかったことになる。このような、移籍金が生じない移籍のことを「フリー移籍」と呼ぶ。選手を保有しているクラブは、選手にタダで移籍されてはもったいないので、有力な選手には早め早めから契約更新の交渉を行い、フリー移籍可能な期間が生じないようにすることが多い。

とはいえフリー移籍はそう珍しいことでもない。特にベテラン選手や構想外の選手では、クラブと選手の間で契約更新の交渉がうまく行かずにフリー移籍になるのはよくあることだ。たとえば2015/2016シーズン優勝を果たした岡崎慎司のレスターには、DFのフクスとMFのオルブライトンがフリー移籍で入団したとされている。優勝決定までに市場価格がどんどん高騰し、それぞれ10億円ほどの移籍金が設定されたとされる。

移籍金の金額設定について

移籍金の金額設定は、その選手と契約を結んでいる所属クラブが自由に決めていいことになっている。移籍金の設定基準はその選手の現在の能力の他に、若さや契約の残り年数といったものが考慮される。サッカー選手の市場価格は24~25歳くらいまで上がり続け、その後28~29歳くらいまで維持し、ゆるやかに落ちていくというのが一般的。契約の残り年数は長ければ長いほど移籍金が高額になる。また、移籍金額については移籍先と移籍元の交渉によって多少の増減がある。

2016年現在、移籍金の相場目安は世界最高級のクリスティアーノ・ロナウドで1億ユーロ(120億円)、ドイツ代表主力級のマリオ・ゲッツェで3500万ユーロ(42億円)、日本代表エースの香川真司で1500万ユーロ(18億円)といったところ。クリスティアーノ・ロナウドの移籍金があまりに高いと感じるかも知れないが、彼ほどの人気選手になると、ユニホームの売上だけでこの移籍金を回収してしまうようだ。

DFの移籍金はFWに比べて低く、過去最高でもダビド・ルイスの4950万ユーロ(当時68億円)とされている。どうしてもDFよりもFWの方が目立つので、広告塔としての価値も考えればFWに対して莫大な移籍金が設定されるのも仕方ないことだろう。

年俸について

まず、読み方は「ねんぼう」ではなく「ねんぽう」なのでご注意いただきたい。

サッカー選手の年俸と年収の違い

年俸は、選手が所属クラブから一年間にもらう金額のこと。2016年現在、香川真司で250万ユーロ(3億円)、メッシは桁違いの4000万ユーロ(48億円)と言われる。

ただしこれは、所属クラブからもらう「年俸」に限った話だ。サッカー選手は有名人なので、CMに出たりして実際の「年収」はもっと多くなる。年収はトップ選手で年俸の2倍前後になると言われており、香川真司で7億5千万円、メッシで80億円ほどとされている。

まとめると、「年俸」は選手がサッカー選手としてクラブからもらうお金、「年収」は年俸+サッカー以外の場面でCMに出たりしてもらうお金のことだ。

まとめ:移籍金と年俸の違い

ここまで読み進めていただけたなら、年俸と移籍金は全く違うものだとご理解いただけたと思う。一番の違いはやはり「誰が誰に支払うお金か」というところだ。

移籍金は、移籍先チームが移籍元チームに支払うお金のこと。

年俸は、所属チームが選手に支払うお金のこと。

というふうに覚えていただければ間違いない。好きな選手の移籍のたびにお金の話がよく分からずもやもやしていたという方がいれば、このように覚えることで解決できたなら幸いだ。